2020.04.05
高山義浩先生と金城隆展先生の対話_第3部
沖縄県立中部病院の高山義浩先生と臨床倫理学者金城隆展先生との対話の第3部です。では、以下本文です。
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倫理学者と感染症医の対話・・・ 3回目です。これまでは、新型コロナが爆発的流行を来した場合の需給バランスの見通しについて話をしてきました。すなわち、病床と人工呼吸器は何とかなるかもしれないが、医療従事者の確保が大きな課題になること。そして、高度医療機器としてのECMOが不足する可能性に言及しました。今回は、その配分について語り合います。
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第3回 高度医療機器が不足したときの配分は?
高山)厳しいかもしれません。とくに、現場が強く葛藤することになるかもしれないのが、高度医療機器であるECMOです。
金城)ECMOとは何ですか?
高山)日本語では、体外式膜型人工肺と言いまして、肺や心臓の機能が低下して生命維持が困難となった時に、その機能を長時間にわたって支援する技術です。具体的には、呼吸を止めてしまって、その代わりに体外に血液を抜き出し、二酸化炭素を人工的に除去し、酸素を送り込んで体内に戻します。人工呼吸と違って、肺は休んでられるので、傷つかず、回復が早いと言われます。
金城)どれくらいの台数が必要になりそうですか?
高山)その推計はありません。ただ、呼吸不全で亡くなる人の全員に試してみるという議論は成り立ちます。それはありえないとしても、過剰な期待が集まると、日本では確実に不足します。
金城)そうなんですね。人工呼吸器が足りなくなるのかと私は思っていましたが、現場の先生方に話を伺うと「やはりECMO」という声が多かったです。人工呼吸器は数的には何とかなりそうで、より高度な医療機器であるECMOが不足する可能性があるってことだったんですね。 稀少な医療資源の配分という問題は、医療倫理の典型的なよく知られた問題ですが、まさか、こんなに厳しい配分問題が起きるかもしれないとは、夢にも思ってませんでした。私たち倫理学者も議論を急いでいるところです。倫理学者として、何らかの考えを示す責任があると私も思っています。
高山)これって、医学的に導かれるものではないので、どう整理すべきかお聞きしたいと思ってたんです。倫理学者のあいだでは、どのような話をしてるんですか?
金城)やはり、配分の手順と基準をどうするかということです。当たり前ですが医療資源は稀少ですから、公正かつ公平な手続と基準に基づいて配分されなければなりません。一番いけないのは場当たり的に配分することなんです。
高山)いやあ、先生、けっこう医療って場当たり的にやってますよ。
金城)そうかもしれない。それでも皆が納得しているならいいんです。法律と倫理の目的って、実は「社会の秩序を守る」ことですから・・・。ただ、新型コロナの流行によって、個々の命に関わる稀少資源の配分で混乱が生じるかもしれないわけです。
高山)そのとき場当たり的にやっていると、社会の秩序が崩壊するかもしれない。
金城)そういうこと。難しいのはここからで、じゃあ「誰がどのように決定を下すべきなのか?」「どういう基準で配分すべきか?」で意見が分かれる可能性があります。たとえば、様々な基準が考えられます。重症度や生存可能性などの医学的効用を重視する基準、できる限り多くの命を助けることが正しいとする功利主義、最も若い人を優先する基準(youngest first)、くじや先着順に代表される平等主義など様々です。どの基準にも利点と難点があり、ひとつを選べば上手くいくわけでもないのがミソです。状況に応じて複数の基準を組み合わせながら、もっとも効率よくたくさんの命が助かる、そして社会的にも同意が得られるバランスが取れた方針を策定することが大切だと思います。
高山)いろんな組み合わせがあるでしょうが、たくさん助けられるのが一番じゃないですか?
金城)もちろんそうです。但し、気をつけないといけないのは「たくさん助けられる」のは結果であり、「どうたくさん助けるか」という手段にも配慮しなければいけないということです。よくいわれる「結果は手段を正当化しない」ですね。だからこそ「どの基準を選ぶべきか」を考えないといけない。実のところ、多くの倫理学者は「生存可能性」こそが優先されるべきと考えています。ちなみに先生は、ECMOに関してどのような優先順位が良いと考えているのですか?
高山)ECMOについては・・・ 良いかどうかは別にして、先着順になると僕は思います。たとえばですね、60歳の男性にECMOを導入していたとします。あとから、20歳の妊婦が急速に呼吸状態が悪化してECMOが必要になったとします。年齢順の考え方なら、60歳からECMOを外して20歳に繋ぎますよ。生存可能性でも同じ判断でしょう。しかも、20歳の身体には2人分の命が宿っている。でも、60歳からECMOは外せませんよ。殺人です。結局、僕たちは、20歳については人工呼吸器による治療を懸命に続けて、「使える資源で全力を尽くしましたが、残念ながら助けられませんでした」と家族に言うでしょう。
金城)なるほど・・・ 現場の厳しさが伝わってきます。現場では倫理的基準よりも「法律」を優先せざるを得ないということですね・・・。でも先生、法律上できないからと諦めてしまうのは「思考停止」では? 先生、去年の倫理討論会で学生さんに諭してたじゃないですか? 「どちらを救うかを論じ合うのではなく、どちらも救うように諦めないことが君たちの義務だ」と・・・。もちろん、現実的にはどちらも助けることは出来ないかもしれないけど、 少なくとも「法律があるから」ではなく、みんなで「何が最善なのか」を頭を絞って考えることが大切ですよ。まずは、法律と倫理の関係を考えることから始めてみませんか?(つづく)